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本さえあれば、日日平安

本さえあれば、日日平安

長迫正敏がおすすめする本です。


本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!

2022/05/31 更新

本さえあれば、日日平安


長迫正敏がおすすめする本です。


文庫

燃えよ、あんず

著者:藤谷 治

出版社:小学館

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燃えよ、あんず

ご存じのように私は妻が好きだが、同じくらい文庫も好きだ。本の中で一番好きだと断言してもいい。
持ち運びが楽で、ちょっと時間が空いた時に鞄やポケットから取り出して読める。その手軽さと自由な感じがいいのだ。
それは、裏返せば身軽さと自由への憧れかも知れない。

「ちょっとお父さん!まだ掃除が終わっとらんよ」
ほら、早くいかなくちゃ、大好きな妻が私を呼んでいる。「君をポケットにつめこんで そのまま連れ去りたい♪」、なんて照れずに歌えたのは、もうずいぶん昔のことだ。オレも若かったぜぇ~

読書を手軽に楽しみたいなら、いまは携帯端末があるではないか、と言われるだろう。小説や漫画が読めるばかりでなく動画が見られ、音楽も聴ける。買い物ができて道案内までしてくれる。本を持たずとも事足りるのではないかと。
だが行きつ戻りつ、頁をめくりながら紙の匂いや感触を愉しむ。重みを掌で受け止めて表紙を愛でる。
紙の本ならではの魅力が、そこにはある。

読みながら場面ごとに登場人物の姿や表情、声を思い描く。もちろん携帯端末の活字でも自分の好きなように想像できるが、紙に印刷してある活字を追う方が、より豊かに、鮮やかに思い浮かべることが出来る。
本を手にして物語と静かに向き合う。何を感じ、何を想っても自由だ。頭の中だけなら、他人を気にする必要はない。誰にも言えない、秘密のひとりごと。作中に登場する女性を想い、「もしも僕の奥さんだったら毎日楽しいだろうな~」、なんてことも・・・

ほら、また始まった。オジサンが本の紹介と思わせて、好きなタイプの女子の話を始めようとしている。
いやらしかね~と思った、そこのあなた。私のことは嫌いでも、この本のことは嫌いにならないでください。

本書は、われらが店長Mのツイートで知った。
【入荷情報】 小学館文庫の新刊が入荷しました。 おすすめは、藤谷治さんの『燃えよ、あんず』。藤谷さんが実際に経営されていた書店「フィクショネス」を舞台にした群像劇。文庫解説、表紙・オビデザインをTSUTAYA中万々店の山中さんが書かれています!すごい!(店長M)

店長おすすめ棚から手にした。まずは帯のおすすめコメントとカバーイラストを見る。どちらも解説を書かれている山中由貴さん作とのことだ。どうやら書店が舞台らしい。カバーに描いてある相関図を見た。オジサンぽい人がいる、オサムさんというらしい。誰とは言わないが、見た目が少し似ている。本屋の男子は皆似てくるのだろうか。

通勤途中の電車内で数日かけて読んだ。何と表現したらいいか、とても濃い朝ドラのようだった。あっさりした人は、ほぼ出てこない、みんな個性的でクセが強い。それだけにグイグイ引き込まれる。
第一部の「前口上」から始まり第二部、第三部、第四部と読みすすめる。それぞれの中も場面ごとに分かれていて、物語が後になり先になり、積み重なっていく。語り手が異なり、語り口調も違っている。

もちろん話はすべて繋がっている。だが、それぞれが別の物語で、ひとつひとつ独立した短編を読んでいるようにも感じた。それくらいテイストが違うのだ。一粒で二度おいしい、一冊で二度面白い、どころではない。どこを切り取っても、どこから読んでも面白いのだ。

といえるのは読み終えたからだろうが、言い換えれば読了後は好きなところだけ何度でも読み返せる。短編集の中の好きな物語だけを、何度も読み返せるのと同じだ。

私が特に好きなのは、オサムさんの奥さんである桃子さんがミラ・ジーノを運転する場面だ。臨場感のある会話がいい。目の前で見ているようだ。実際に後席に乗っている気分がしてハラハラする。
意外な一面に驚きながらも、だんだん桃子さんに魅せられていく。優しくて面倒見がいい。頼れる女性だ。でもどこか抜けている。テンパるところが可愛い。「もしも僕の奥さんだったら毎日楽しいだろうな~」と思ったのは桃子さんのことだ。

未読の方にどこまで話してよいのか判らないが、この物語にはオサムさんと桃子さん以外に何組もの夫婦、そして夫婦になろうとしている男女が登場する。久美子さんと剛さん、久美子さんの両親、奈良に住む剛さんの両親、そして獅子虎と・・・
夫婦の数だけ物語がある。

繰り返すが、それぞれがひとつの短編のようだ。第四部「ぽんこつたち」の最後に記された獅子虎の半生を描いた“老境のエスカミーリョ”は、特にそう感じるはずだ。まるで映画を観ている様だった。
最後に書かれているからといって、後日談ではない。それどころか、ここから始まっているのだ。ぜひ読んでお確かめ頂きたい。

ああ、また妻が話しかけてくる。少し静かにしてくれないか。コラムの締めの言葉が思い浮かばないのだ。お口にチャック。
じゃないと、その口、オレがふさいでやるぜぇ~

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