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本さえあれば、日日平安

本さえあれば、日日平安

長迫正敏がおすすめする本です。


本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!

2022/12/28 更新

本さえあれば、日日平安


長迫正敏がおすすめする本です。


文庫

ひと

著者:小野寺文宜

出版社:祥伝社

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ひと

郊外店の店長をしていた27年前の話である。山陽本線で倉敷まで行き、伯備線「特急やくも」に乗り換えて鳥取県米子市に向かった。スタッフの皆に無理を言って連休をもらい、里帰り出産で実家に帰っていた妻、そして3歳の娘に会いに行ったのだ。
いつもは妻と交代で車を運転しての帰省だったが、一人で行き来するのは大変だと考え電車にした。それが思いのほか良かった。ひとり旅をしている様で楽しかった。だから今でも鮮明に覚えている。

妻の実家に着くと、つい今しがた産院に向かったとのこと。携帯をまだ持っていなかったので連絡がとれなかったのだ。
夕方だった。分娩室の前、娘と二人でその時を待っていた。「これってよくあるドラマのワンシーンみたい…」とワクワクしていた。ドラマではこうしてたよな~と思い、とりあえず意味もなく廊下をウロウロしてみた。
娘に紙パックのジュースを飲ませながら、「もうすぐだよ、楽しみじゃね」と会話をしている最中に、彼の元気な産声が聞こえてきた。

「お疲れ」と妻に声をかけた。2人目ということもあり、幸いにも彼女はそれほど大変そうではなかった。
やがて義父や義母、義姉や姪っ子がやって来た。ちなみに、その時珍しそうに息子の顔を覗き込んでいた姪っ子も、いまや3人の子を持つ母親だ。

その夜は、私も妻の個室に泊まることにした。そんな時の為に、ベッドの下にもう一つ低いベッドが用意してあるのだ。
でも子どもは無理だったので、娘は妻の両親が連れて帰ることになった。もちろん大泣き。母親も父親も一緒ではないので当然だ。義母は泣き止まそうと、「帰りにセーラームーンのパンツを買うてあげるから」となだめていた。
セーラームーンは分かるけど、なんでパンツだったのか?今でも謎のまま。

息子は、とにかくよく寝る赤ん坊だった。娘は癇(かん)が強く、よく泣く子だったので、手がかからず本当に楽だと妻も言っていた。まわりで大きな音がしても動じず、ク~たら、ク~たら寝続ける姿に、なんだか大物になる予感がした。
ただ3歳になってもオムツが外せなかった。「おかしいよ。もう、みんなしてないよ」と言ったら何の抵抗もせず「わかった!」と、いっぺんで自ら止めた。なんて聞き分けのいい大物なんだ。
また小学校入学直前まで指しゃぶりをしていた。彼の場合、親指ではなく人差し指と中指の2本指を吸うスタイルだった。ベースでいうところのツーフィンガー奏法だ。だがそれも、オムツの時と同じように言い聞かせるとすぐ止めた。やはり彼は大物だ。まるでザ・タイガースのベーシスト・岸部一徳さんのようだ。これから息子のことをサリーと呼び、バイオリン・ベースを持たせよう…

実際、私より少しだけ(背丈が)大物になった息子は、高校を卒業してすぐに就職した。自分の車を持ち、自由に動き回った。今でもそうだが、彼はひとりで動くことが多い。最近では倉敷に藤井風のライブを観に行き、笠岡に卓球の全日本代表の試合を観に行った。中学生の時、彼は卓球部だったのだ。
自分の稼ぎでスマホ、iPad、パソコン、おしゃれな服を買った。ベースではなくアコギを弾いた。二十歳を過ぎたら仕事帰りにお酒を買っては、いける口の母親を相手に晩酌をした。お酒を飲んで味の寸評をしている息子を見て、下戸の私は複雑な思いがした。

その頃だ。私が息子を家から追い出したいと思ったのは。

今ならわかる。明らかに嫉妬である。妻や娘が私ではなく息子を頼りにして、先に相談するようになったことが面白くなかったのだ。言い換えれば、台頭してきた若いオスである息子の存在を疎ましく感じたのだ。
一家族に成人男子が2人居たら上手くいかなくなる。子どもがある程度大きくなったら、親は威嚇してでも群れから離そうとする。自然界の動物とおんなじだ。そう、しょせん「ひと」は動物なんだ。人間なんて…人間なんて…

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう 古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
イメージの詩/吉田拓郎 

私はもう「古い水夫」なのだ…でも、そう感じていたのは自分だけだ。息子は別に取って代わろうとしているのではない。飄々と一緒に暮らしているだけだ。その落ち着いた姿に増々イラついた。
でも、こんな性格の私でもそう感じるのだ。普通の元気なお父さんなら、息子が二十歳前後のあの頃、もっと強く、そう感じるのではないだろうか。

『ひと』 小野寺史宜 祥伝社文庫
女手ひとつで僕を東京の私大に進ませてくれた母が急死した。僕、柏木聖輔は二十歳の秋、たった独りになった。大学は中退を選び、就職先のあてもない。そんなある日、空腹に負けて吸い寄せられた砂町銀座商店街の惣菜屋で、最後に残った五十円のコロッケを見知らぬお婆さんに譲ったことから、不思議な縁が生まれていく。本屋大賞から生まれたベストセラー、待望の文庫化。

小説を読んでいる時、主人公が男性ならば、その年齢がいくつだろうと自分を投影して読むことが出来る。私自身が中学生、高校生になり、新入社員にも中年男性にも、これから実際に迎えるであろう老境の水夫にもなれるのだ。主人公と一緒に楽しんだり苦しんだり、恋愛もできるのだ。
だが本書では息子が主人公になった。聖輔くんは二十歳の私ではなく、二十歳の息子だった。父親目線で彼の行動を追い、成長を見守っていた。それも映画やドラマではなく、ドキュメンタリーを見ているような感じがした。NHKの「ドキュメント72時間」とか「ファミリーヒストリー」を見ているような気分だった。

本書を読んで鳥取で生まれた息子のことを真っ先に思い浮かべたのは、聖輔くんの故郷が鳥取だからである。母親の葬儀を終え東京に戻る前、聖輔くんはお母さんが学食で働いていた鳥取大学に行き、キャンパスのベンチでひとり泣く。息子が泣いている様で、いたたまれなくなった。聖輔くんの周りにはいい人が多いが、そうでもない人にも出会う。誠実な聖輔くんのことが心配だ。「そいつの言うことを信じたらダメ」と思わず口走ってしまった。

わが息子も27歳になった。私が妻と結婚した年齢だ。だからなのか、やたらと気になる。もちろん結婚することや子どもを持つかどうかを選ぶのは本人である。たとえ息子であっても、私がとやかく言うべきことではない。分かっている。でも、いい恋愛はして欲しい、と思う。いや、して欲しいと切に願う。
その意味で、本書のラストは良かった。

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