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本さえあれば、日日平安

本さえあれば、日日平安

長迫正敏がおすすめする本です。


本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!

2024/09/09 更新

本さえあれば、日日平安


長迫正敏がおすすめする本です。


フィクション

おおきな木

著者:シェル・シルヴァスタイン:作・絵、村上 春樹:訳

出版社:あすなろ書房

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おおきな木

父から電話があった。「うちわ」を買ってきて欲しいとのことだった。この暑さで食欲をなくし、体調を崩した父は大事をとって入院している。もちろん病室は冷房が効いている。「本当に必要なんかな~」と思いながら、その他にもいくつか頼まれたので、とりあえず100円ショップやドラッグストアに寄ってから面会に行くことにした。

それはパーティーやライブなどで使うクッズコーナーにあった。ハート型でピンクやイエローの原色で彩られたうちわである。目立ってナンボなので結構デカい。でも93歳にこれはないなぁ~と別のタイプのものを探すことにした。すると工作キットのところで見つけた。「自分だけの特別なうちわを作ろう!」という白地に絵や文字を書き込めるものだ。閃いた。これに「お父さん早く良くなってね!」とメッセージを書いて持って行けば喜ぶのでは?

まるで小学生のようなことを考える不肖の息子である私は、還暦を過ぎて早2年。いやいや、この歳でそれはないなぁ~と思い直し、何も手を加えず白地のまま持って行った

「いつも飯の時間に来るんじゃの~」と父が笑う。食事の様子を知りたくて、あえてお昼ごろに行くことにしている。家にいる時よりも食欲はあるようだ。安心した。ダイソーで購入した例のうちわを「買うてきたよ」と手渡した。「こういうのがええんじゃ、ありがとの」と気に入ってくれた。

ゆっくりとスプーンを口に運んでいる父の様子を見て思い出した。私が小学生の時、プロレスごっこをしていて友達にケガをさせたことがあった。故意ではない。お互いはしゃぎながら腕を引っ張りあっているうちに相手の子が筋を痛めたのだ。それは以前に痛めたのと同じところだったとは後から聞いた。

授業が始まる前に教師から名前を呼ばれ立たされた。「こんなことがありました」と悪い例として披露され、厳しい口調で叱責された。繊細さんだったので、クラスみんなの前で一人だけ怒られたことがとてもショックだった。半世紀以上たった今でも鮮明に覚えている。理由はどうあれ相手にケガをさせたのは事実だ。反省している。それでも…

もちろん家にも伝えられた。父から、その時の様子を尋ねられた。遊んでいてなったこと、ワザとじゃないことを説明した。昭和一桁生まれで、とにかく怒りっぽい父である。教師と同じ反応を恐れ身構えた。だが予想に反して怒られることはなく、「わかった。謝りに行くぞ」と告げられた。

もしあの時、父も教師のように激怒していたら、謝罪に行くのを「ワシは知らん!」と母親だけに押しつけていたら、と考える。私の性格、その後の人生も変わっていたのではないか?

何を大げさに、と思われるかも知れない。だがワンマンで家の中ではいつも威張っている父が、私のことで頭を下げているのである。その姿を目にして、もちろん申し訳ない気持ちがした。でも、それ以上に私の話を信じてもらえたことが嬉しかった。何より父に守られているのだと感じた。語彙力がないので適切な表現が思い浮かばないが、父の「大人な対応」に感動していたのである。

それに、今ではこうして穏やかな気持ちで思い出すことができるのは、ケガを負わせてしまった友達とお母さんが、謝罪に訪れた私たちを笑顔で迎えてくれたからである。「また一緒に遊んでね」とおっしゃって下さったからである。

神対応をして頂いた大人たちには感謝しかない。そんな小学生の想い出とともに頭に浮かんだのは、シェル・シルヴァスタイン:作・絵、村上 春樹:訳『おおきな木』(あすなろ書房)である。

あるところに、いっぽんの木があった。その木はひとりの少年のことが大好きだった。少年は木に登り、枝にぶら下がり、りんごを食べ、くたびれると木陰で眠る。成長し再び木の下を訪れた彼。また木に登るように促されると「もう木登りをして遊ぶ年じゃないよ」と言い、「物を買って楽しみたいんだ」と少年はいう。
木はお金を持ってない。その代わりに「りんごを町で売り、そのお金で幸せになりなさい」と木はいう。少年は木に登り、あるだけのりんごを集め運んでいく。しばらくしてまた木の下を訪れた彼は、今度は家が欲しいという。木は「私の枝を切って家をつくりなさい」という。少年はいわれた通り木の枝を切り、それを運んでいき家を作る。そして、しばらくしてまた彼は・・・

持てるもの全て与えようとするりんごの木。無償の愛、これぞ神対応・・・と言いたいところだが、読むたびに「はて?」と感じる。甘やかしすぎではないだろうか?

村上春樹氏は訳者あとがきで、このように書かれている。

あなたはこの木に似ているかもしれません。あなたはこの少年に似ているかもしれません。それともひょっとして、両方に似ているかもしれません。あなたは木であり、また少年であるかもしれません。あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。それをあえて言葉にする必要もありません。そのために物語というものがあるのです。物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです。

ひとはみんな時に木であり、時に少年でもある。両方に似ているのだ。「なるほど」と思う。

面会時間は10分間である。「じゃまた来るね」と病室を出ようとすると、「いつもすまんのう。そうじゃ、これ持って帰ってくれんか」と何か手渡そうとする。
そう言えば実家に顔を出すたび、父は何かを持たせてくれていた。お中元やお歳暮で頂いた缶詰、ご近所からおすそ分けしてもらった野菜や果物、冷蔵庫から取り出したヤクルトの5本パック、ガソリンスタンドの店名入りのタオル等々、とにかく「手ぶらで帰すわけにはいかない」と思っているようだ。

入院している身なのに、そんな気を遣わんでも…と受け取った紙袋の中身を見ると洗濯物だった。恥ずかしい。私は父に何を期待しているのだ。いくつになっても、あの少年のようである。

追記:お陰様で父は退院しました。

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