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いつか読書をする人へ

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井上いつかがおすすめする本です。


啓文社スタッフ「井上いつか」による本のレビューです。井上いつかがお送りするコラム!
啓文社のスタッフであり、『本の虫』としても有名な「井上いつか」がオススメする本のコラムです。さて、今回はどんな本でしょう?

2021/05/09 更新

いつか読書をする人へ


井上いつかがおすすめする本です。


フィクション

全員悪人

著者:村井理子

出版社:CCCメディアハウス

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全員悪人


『あら、もしかして井上いつかちゃん?』

結婚前、ネームプレートにフルネームが書いてあったころ、時々レジで声を掛けられることがあった。たぶん、ちょっと覚えやすい名前だったからか。
幼稚園や小学校の先生、そして小さいころ通っていた歯科の奥様。
その奥様は、まぁ、大きくなって、と華やいだ声を上げられこう続けた。
『一緒にいらした、あの上品なおばあ様はお元気?』


祖母は、わたしが高校生の頃亡くなった。
何年もアルツハイマー専門の病院に入院して最後の数年は言葉も話せなかった。一時帰宅の時は文字通り24時間目が離せなかった。
一瞬の隙をついてガラスコップを掴み割り、ガラスを口に持って行った瞬間に祖母の両手首を掴み叫んだことを、思い出した。

祖母は10年ほど前に亡くなりました。と告げると彼女はこう続けた。

『可愛らしいお孫さんとお洒落で上品なおばあ様で、よく覚えてる、素敵な方だったわねぇ』


目の前の奥様の憶えている祖母は、ざんぎり頭のスウエット姿の口をへの字にして睨みつけてくる祖母ではなかった。

そうだった。
 
幼稚園の頃いつも歯医者さんに連れて行ってもらっていた。美人で、気が強くて、髪の毛はふわふわのパーマ。おばあちゃんみたいなワンピースが着たいなって思っていた。
厳しくて、姿勢が悪いと背中に50㎝物差しを入れられた。教えられた歩き方、座り方。
誰と喧嘩をしても絶対に負けない、わがままなお姫様みたいな人だった。おばあちゃんのプレゼントしてくれる本が一番面白かった。

会計を終えて、ありがとうございました、と頭を深く下げた。涙が落ちたのを見つからないように。
ありがとうございました。
本当のおばあちゃんのことを思い出させてくれて。


鉄格子のはまった病院の面会室。そっと肩を抱いたことがあった。猛然と暴れるかと思ったら、静かに肩を寄せてじっとしていた祖母。

亡くなる際、たしかに『ありがとう』と言った、と驚いていた両親。何年も口もきけなかったのに、お話みたいなことあるんだねぇ、と。

弟と妹は、認知症にかかる前の祖母をほとんど憶えていない。けれどもわたしたちは皆、姿勢がいいとよく褒められる。


『全員悪人』この本は認知症にかかった本人の目線で描かれた本です。
誰も悪くないのに、人生の終盤でこんなに不安でやりきれない日々が訪れる。
家族は皆本当につらかった。
でも祖母も、こんな恐怖を気の強さで押隠していたんだと、あらためて気が付きました。
祖母のことが、皆好きだったから、あんなに、忘れたいくらいつらかったんだ。
今は、昔の祖母も、病気になってからの祖母も、家族でよく思い出話に上ります。
どちらもはちゃめちゃで面白い人だったねぇ…、って。


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