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本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!
2012/01/15 更新
本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
文庫
とんび
著者:重松清
出版社:角川書店
店内放送で名前を呼ばれた妻は、慌てて指定された場所に向かった。そこで彼女が見たものは・・・、係りのお姉さんに遊んでもらいご満悦の幼稚園児、わが家の長男の姿だった。
「ぼく迷子になりました。お母さんを呼んでください。」、彼は何でもないように笑顔で告げたそうだ。
話を聞きながら妻は思った。どうも怪しい、ワザと迷子になってないか?綺麗なお姉さんに遊んで貰いたいがために・・・。この子は一体誰から教わった、こんなナンパなワザ。
まさかねぇ~、えっ、お父さん!
男親は、わが子の成長を実感できる感動のその瞬間を目の当たりにする機会は意外と少ない。初めて寝返りをうったとか、笑ったとか、独りで歩いたとか、何かしゃべったとか、大概は後から聞かされることが多い。
その場に立ち会うことが出来なかった悔しさからか、「こいつは俺が育てた!」と言える何かを教え込みたいと常々思っているのだ。男親が息子に教えること。それは、もちろん男親にしか伝えられないことなのだ。
昭和三十七年、瀬戸内に面した備後市、28歳のヤスさんはとにかくご機嫌だった。オート三輪で配送の仕事に精を出し、来るべき感動の瞬間のため、大好きなお酒も我慢していた。
そして愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生。父親になったヤスさん。家族三人の幸せを噛みしめる日々。 しかしその団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう。ヤスさんが家族を連れて行った休日の仕事場で・・・。
その日から「とんび」と「鷹」の長い旅路が始まった。
アキラは一人息子。あたり前だが、ヤスさんにとって子育ての何もかもが初めてのことばかりだ。アキラが小学生になると、ヤスさんも生まれて初めて「小学生の親」となるのだ。
学校でのトラブル、反抗期、受験、就職、結婚、その度に不器用に悩むヤスさん。その戸惑いぶりは、どちらが子どもか分らなくなるくらいだ。拗ねる、むくれる。かといえば先走り、時に暴走し、空回りしながら、それでもわが子の幸せだけを願う。
― 幸せになりんさい。金持ちにならんでもええ。偉いひとにならんでもええ。今日一日が幸せじゃった思えるような毎日を送りんさい。明日が来るんを楽しみにできるような生き方をしんさい。親が子どもに思うことは、みんな同じじゃ、それだけなんじゃ ―
個人的なことを言わせていただくとアキラとは同い年だ。また舞台の備後市とは私が育った街、ここ福山のことだと思う。アキラが見てきた時代と風景は、間違いなく私が見てきたものでもある。そしてもう一つ、アキラが生まれヤスさんが親になったのは28歳、私もその年齢で親になった。
私は読みながらヤスさんになり、アキラにもなれる幸せな読者だった。
人一倍純粋で熱い愛情を持った「とんび」が生んだのは、人の痛みがわかる心優しい「鷹」、そして誰もがうらやむ深い絆で結ばれた幸せな親子の物語だった。