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本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!
2019/12/01 更新
本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
文庫
つまをめとらば
著者:青山文平
出版社:文藝春秋
転勤となりJRで通勤することになった。始発から2番目の電車。まだ暗いうちに家を出る。
車で駅まで行くには駐車場を借りなくてはならない。出来るだけ出費は抑えたい。ならば自転車でとなるが、いまわが家に自転車はない。子どもたちが学校を卒業して処分してしまったのだ。それに、これから寒くなる季節なので、自転車では行きたくない。
『車で送り迎えしてもらえん?』、妻に恐る恐る頼んでみた。案外すんなりとOKしてもらえた。あの妻が妙に素直だ。珍しいこともあるものだ。雪でも降るんじゃないか…
でも、そうなると困る。転勤先である東広島「酒どころ西条」の冬は、とても寒いと聞く。
帰りの電車はその日によって違うので、毎日LINEで知らせる。到着時間だけでは味気ないので、何か小ネタを添える。朝早くても通勤、通学の人は意外と多い。3両編成なので乗り込む車両によっては座れない時もあることや、隣の席のおじさんが居眠りしてiPadを落としたことなど、往復の電車内の様子や見聞きしたことを書き込んでいる。
尾道駅から糸崎駅に至る間、車窓から海が見える。ちょうど日の出の時刻。凪いだ瀬戸内海の朝焼けは、たおやかでとても美しい。思わずスマホで写真を撮った。でも他の人は見慣れているのか、興味がないのか、誰も外を見ていない。何だかもったいない。子どものように「すごいよ、見て!見て!」と言いたくなる。
だからといって隣で寝ている見ず知らずのおじさんに声はかけられない。例のiPadおじさんは、さすがに3回落とした時点で鞄に仕舞い込み、先ほど熟睡体勢に入ったばかりだ。起こすのは可哀そうだ。
でも、どうしても誰かに、この素晴らしい景色と感動を伝えたい。
そうだ、私には妻がいる。
画像を送ったら、「きれいだねー」とすぐに返ってきた。朝晩、嫌な顔もせずに送り迎えしてくれて、話を聞いてくれて、共感してくれる。
「妻をめとらば 才たけて みめ美わしく 情けある」、与謝野鉄幹『人を恋いうる歌』のような素晴らしい妻だ。
駅への送り迎えを妻に甘えたまま迎えた転勤してから2度目の休日のこと。いつもは朝5時起きだけど休みだからとお昼近くまで寝ていたら、急に妻に起こされて車で連れ出された。手にはクッキーが入った小袋を持たされ、大型家電量販店の裏手で誰かを待っていた。
やがて自転車に乗った知らない男性が現れた。妻に促され男性にお礼を言い、クッキーを渡した。男性は去り、自転車が残った。
妻は方々に声をかけていたようで、知り合いの知り合い、そのまた知り合いから不要になった自転車を無料でゲットしてくれたのだ。
私が頼んでもないのに…
「一人で乗って帰れるよね。じゃーね。」、優しい妻も車で去っていった。
そして、私と中古の自転車が残された。
『つまをめとらば』 青山文平 文春文庫
女が映し出す男の無様、そして、真価―。太平の世に行き場を失い、人生に惑う武家の男たち。身ひとつで生きる女ならば、答えを知っていようか。時代小説の新旗手が贈る傑作武家小説集。男の心に巣くう弱さを包み込む、滋味あふれる物語、六篇を収録。選考会時に圧倒的支持で直木賞受賞。
もちろん妻だけではない。女性には生活者としての才覚が備わっている。強力なネットワークも持っている。男性のような変なプライドもない。
そして女性は例外なく、我慢なんて、しない。
「ふつうの女など、いない。~ 女は自分の感じ方に、絶対の信頼を置くことができる。女は、皆、特別だ。」
いま私は、与謝野鉄幹よりも青山文平の言葉に、激しく同意している。