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本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!
2019/12/15 更新
本さえあれば、日日平安
長迫正敏がおすすめする本です。
文庫
隠し剣 秋風抄
著者:藤沢周平
出版社:文藝春秋
電車通勤も1か月が過ぎようとしている。毎日の通勤をストレスなく過ごすため、ルーティーンというかルールを決めることにした。発車時刻の10分前に駅に着き、5分前にはホームに立つ。駆け込み乗車は絶対にしない。私は焦って何かしようとすると必ず失敗する。余裕をもった行動が必要なのだ。
ホームでは線路から離れて、列に並ぶときは一番先頭にならないようにする。3両編成の一番前の車両にも乗らない。できるだけ不安要素は減らし、危険を回避する。
そして、ある出来事から4人掛けの席にも座らないことに決めた。
電車通勤を始めて間もない頃、4人掛けの席に1人で座っていた時のことだ。後から乗ってきた女子高生3人組が、躊躇せずに相席してきたことがあった。女子高生に囲まれて膝を突き合わせることになり、緊張した私は読書どころではなくなっていた。
1人は鞄からおにぎりを取り出し、マスクを外しておもむろに食べ始めた。他の2人は参考書を広げた。そのうち1人は、広げたそばからウトウトし始めた。
その様子から、彼女たちは電車通学のベテランで、私のことなど眼中にないのは明白だった。
もしかすると、この4人掛けの席は彼女達の定位置かもしれない。その車両には暗黙のルールがあり、新参者の私だけが知らずに座ってしまったのではないか?
それでも空気の読めないダサいおじさんだと思われているなら、まだマシだ。彼女たちの定位置と知っていて、あえて座っているヤラシイおじさんと思われているかも知れないではないか!
そうかといって、これから急に座席を移るのは、いかにも不自然だ。何度も言うが、焦って何かをしようとすると必ず失敗するのが私だ。
例えば揺れている車内で立ち上がり、ふらついて倒れ、女子高生たちの膝の上にダイブすることにでもなったら目も当てられない。それでは本物のヤラシイおじさんではないか!
いや笑いごとではない。私の人生が変わるかも知れない危険性をはらんでいる。もっと読書に集中しなければならない。
その時に読んでいたのは、出版社から送られてきたゲラ(本になる前の校正刷り)だ。今後の人生が変わってしまう前に、いつもの文庫本に変えることにした。
邪念も雑音も一刀両断。読み始めると周りのことが一切気にならなくなり、読書に没頭できる本。文字通り隠し玉と言える1冊が、私には、ある。
九つの短編が収録されている時代小説。そのうちの一編「盲目剣谺返し」は、山田洋次監督、木村拓哉主演の映画『武士の一分』(2006年公開)の原作。
『隠し剣 秋風抄』 藤沢周平 文春文庫
多彩な剣の遣い手が登場するが、いずれも下級武士という共通点がある。また登場人物の誰もが、若い頃に剣の修行に励み、免許皆伝の腕前だ。
一見、皆同じようなだが、性格は様々だ。頑固者や酒乱、女房運が悪かったり、女性の為に身を引く決心をして狂気を演じる者もいる。生活を支える勤め人としての責務、藩士として避けられない使命。かつて身に付けた秘剣で立ち向かうことを余儀なくされた男たちの悲哀。
最初の一行を読んだだけで、著者の描く世界にスッと入り込める。
一編一編の長さが、電車に乗っている時間にちょうど良い。読み始め、降りる頃に読み終える。最後は決まって斬り合いになる。果し合いの場面では、読んでいる最中には気持ちがザワつくが、終えると不思議に落ち着く。いい感じで仕事に向かえる。
電車は各駅停車だけど、「通勤快読」の毎日だ。