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本さえあれば、日日平安

本さえあれば、日日平安

長迫正敏がおすすめする本です。


本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!

2020/08/17 更新

本さえあれば、日日平安


長迫正敏がおすすめする本です。


文庫

たとえる技術

著者:せきしろ

出版社:新潮社

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たとえる技術

『コラムのぜんぶが面白い、わけではない』
家族がそれぞれスマホを持っているので、今はほとんど使っていない家の固定電話がある。その横に置いているメモに、それは書いてあった。

コラムとは、この「本さえあれば、日日平安」に違いない。妻が誰かと電話で話しながら思ったことを書き留めたのか?それとも相手が言ったことを書き起こしたのか?
一瞬相手は台湾にいる娘か、とも思ったが、娘とは固定電話でなくLINEを使うはずだ。一体誰と、何故、何のために…

妻はコラムを読んで不機嫌になることがある。「面白くするために話を盛っている!」、と怒るのだ。だが、かの春団治は「芸のためなら女房も泣かす」という金言を残したではないか。
私は「コラムのためなら女房も怒らす」のだ。
~芸のためなら女房も泣かす、それがどうした、文句があるか、雨の横丁、法善寺♪「浪花恋しぐれ」(都はるみ/岡千秋)

言われなくても自覚はしている。表現に深みがなく面白味もない。ありきたりの手垢がついた言葉を使っている。この「手垢がついた」という言葉を選んだこと自体、平凡でありきたりな表現しかできない証拠だ。

「たとえる技術」 せきしろ 新潮文庫
たとえると一瞬にして世界が変わる。感情を際立たせ、想像力を掻き立て、平凡な言葉に鮮やかな彩りを与えることができる。

たとえば、「うれしい」という気持ちを表す時に、ただ「うれしい」だけでは喜び具合の温度が伝わらない。
そんな時は、『「この犬、他の人に懐くこと滅多にないのよ」と言われた時のようにうれしい!』、とすれば「うれしい」度合の違いがよくわかる。

その「違う」という言葉だって、『若貴兄弟のそれぞれの人生のように違う』、もしくは『マナカナのそれぞれの人生のように違う』、あるいは『普段行くスーパーとデパ地下の総菜コーナーのように違う』とすれば、その違いが(若貴、マナカナ、デパ地下を知っているかどうかで個人差はあるだろうが)想像ができる。

それに「綿菓子のような雲」など、使い古された「たとえ」であっても、「できたての綿菓子のような雲」、あるいは「誰かが齧った綿菓子のような雲」とひと工夫を加えるだけで、雲の状態が目に浮かんでくる。

さらに上級テクとして、「たとえ」を挟み込むことで言葉を強調することができる。
太宰治「走れメロス」の冒頭部分、『メロスは激怒した』。この「メロス」と「激怒した」の間に「たとえ」を入れ込む。

『メロスは母親が勝手に部屋に入った時の中学生のように激怒した』
その怒りがビシバシと伝わってくるではないか。

冒頭で「コラムを読んで妻が怒る」と書いたが、試しに「たとえ」を加えてみる。

『コラムを読んで妻が中華料理屋の厨房のように怒った』、もしくは『こち亀の大原部長のように怒った』、あるいは『デッドボールを受けた助っ人外国人のように怒った』

こんなことを書くから、『妻はナマハゲのように激怒』するのだ。
「♪君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ」(香水/瑛人)と、粋な「たとえ」がスラっと出てくるまで、「本さえあれば、日日平安」は、つづく。

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