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本さえあれば、日日平安

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長迫正敏がおすすめする本です。


本さえあれば、穏やかな日日。ほっこりコラム連載中です。本好きのほんわかブログ・「本さえあれば、日日平安」
本好きの、本好きによる、本好きのための“ほんわか”。一日を穏やかに過ごす長迫氏のおすすめ本はこれ!

2021/07/29 更新

本さえあれば、日日平安


長迫正敏がおすすめする本です。


文庫

雄気堂々 (上)(下)

著者:城山三郎

出版社:新潮社

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雄気堂々 (上)(下)

過去の“やらかした”出来事を思い出し、恥ずかしさのあまり叫びたくなることがある。
中学校の卒業間近、ある同級生の女子から渡されたサイン帳。個人的に何かメッセージを書いて欲しいとのことだった。もちろん私だけではなく、男女関係なくクラスの皆に依頼している様だった。
次の人に回すのでと、少し焦らされた。急に言われても思い浮かばない。彼女とは、そんなに話したこともないし…

何でもいいから!とせっつかれ、とりあえず思いついたことを書いてみた。
「僕と別れるのは辛いでしょうが、これも運命だと思ってあきらめて下さい。」

彼女はクスっと可愛く笑い、別の女子に見せに行った。とっさに書いたにもかかわらず、意外とウケが良かった。すると、見せられたその女子も、「私にも何か書いて!」とサイン帳をもって駆け寄ってきた。なんか僕、いまモテてます?
この二人の女子とは高校は別々になるけど、どちらかと付き合ってあげてもいいけどね、何なら二人同時に・・・と思いながら調子に乗った私は、何のひねりも加えず、また同じメッセージをその女子のサイン帳にも書いてしまった。
それっきり二度と、誰からも依頼は来なかった…

城山三郎・著「雄気堂々(上)(下)」(新潮文庫)は、近代日本最大の経済人・渋沢栄一の人生を、幕末維新から明治の激動の中に描く雄大な伝記文学。物語に入る前の導入部分には、渋沢栄一の様々なエピソードが紹介されているが、最初に持っていたイメージとは随分違っていた。多種多様な会社、経済団体の設立・経営にとどまらず、福祉事業、医療事業、教育支援に携わった渋沢栄一は、勝負事が好きだったらしい。

それは、いつも粘り勝ちだった。徹夜して、皆がくたびれ、頭がもうろうとした夜明けごろになって力を発揮し、ニコニコしながら、巻き上げる。だから「明けの大福」と呼ばれていたのだ。
福祉や教育とは相反する賭け事が好きだったとは驚きだ。それも若い頃の話ではない。七十歳を過ぎて、孫ほども歳のちがう息子の学生仲間と夜通しポーカーに興じるのである。気付いたら朝7時、そのまま早朝の訪問客に対応していたという。

そして歴史的名著「論語と算盤」の道徳的なイメージとは懸け離れた、女性問題もある。
本郷真砂町の粋な女性の住まいに、ときどき人力車であらわれる渋沢栄一。他の明治の元勲たちが妾を置くのは「どうせあいつらは、そういう人間なんだ」とわからぬでもないが、それが渋沢では勘弁できないと一高(現・東京大学)の学生も憤る。日本女子大・東京女学館の創立に骨折り、一時は女子大の学長までつとめ、婦道を説いたりした渋沢も、「私の娯楽中には甚だ宜しくないものもある。若い頃の習慣はなかなかぬけ去らぬもので・・・」と、つい声を弱める。

こうした夫・渋沢栄一について兼子夫人は晩年、子どもたちによくつぶやいていた。
「お父さんも論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね。」

なんだか「すべらない話」のジュニアさんのオチのようだ。ちなみに論語には、夫人の指摘する通り、女性に対する戒めはないそうだ。それにしても著者・城山三郎は、なぜこれから描こうとする主人公のマイナスになるようなことを、物語の導入部分に書いたのだろうか?
大河ドラマを見るにあたって、渋沢栄一に関する本を何冊か読んでみたが、この女性問題のことはスルーしていたり、最後に少しだけ言い訳程度に記述してあった。
確かにこの事実の取り扱いは難しい。渋沢栄一は偉人として児童書にも登場しているが、さすがにそこは書かれていないだろう。でも大河ドラマでは、これから後半でどう描くのだろうか、と心配になった。

ただ読了して感じたことがある。本書に関していえば、著者はバッドニュースファーストと考えていたのではないだろうか。あくまでも私個人の感想だが、この導入部分で読むのが楽になった。肩の力が抜けたのだ。苦労の末の立身出世の話で、もっと堅苦しいかと思っていたからだ。
どんな偉人でも“やらかした”過去がある。青い正義感に熱くなってみたり、逆にやんちゃしたい時代があるものだ。決して褒められた過去ではないが、全部ひっくるめて、その人の人生なのだ。
城山三郎が様々な資料や取材に基づいて描いた渋沢栄一は、バッドニュースファーストで、より本物に近く、信じられると感じた。

上巻は、武州血洗島の一農夫が、尊王攘夷運動に身を投じた後、思いがけない縁から、かつて打倒の相手だった一橋家に仕えることになり、やがて慶喜の弟の随員としてフランスに渡り、その地で大政奉還を迎えた後に帰国した頃までの前半生。下巻は、帰国した渋沢栄一が明治政府の招きで大蔵省に入り活躍するが、藩閥の対立から野に下り、フランスで見聞きした時からの夢だった合体組織(株式会社)を日本に根付かせるために奔走する後半生が描かれている。

大河ドラマでも話題になったが、一橋家の上役である平岡円四郎との関係が面白い、というか上司と部下の信頼関係が読んでいても気持ちの良いものだった。その他、徳川慶喜はもちろん西郷隆盛、伊藤博文、木戸孝允、岩倉具視、大隈重信など幕末から明治にかけてのオールキャストが登場するが、それぞれの考え方や仕事ぶりを観察し、評価、分析している渋沢栄一のまなざしは、そのまま著者・城山三郎の彼らへの人物評価であり、分析であることが興味深かった。そこは是非読んで確かめて頂きたい。

それにしても、あの偉大な渋沢栄一の“やらかした”ことと、自分自身をよく平気で同列に並べたな、と思われるかもしれない。でも、これも読書の楽しみ、醍醐味であるはずだ。知らんけど。

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