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Slow Books ~コトバのあや~

Slow Books ~コトバのあや~

高垣亜矢がおすすめする本です。


日本人が奏でる『コトバの音符』。言葉が織りなす模様“言葉の文(あや)”日本人が使う巧みなコトバ、本の中に見え隠れする「コトバのあや」
本をじっくりと読んでいると、その中に光る作者の巧みなテクニック。高垣亜矢さんの視点で捉えた“コトバのあや”を紹介します。

2009/08/16 更新

Slow Books ~コトバのあや~


高垣亜矢がおすすめする本です。


文庫

向田邦子の青春

著者:向田和子

出版社:文藝春秋

書名:向田邦子の恋文

向田邦子の青春

今年もまた8月22日がやってくる。
向田邦子が台湾旅行中に航空機事故で亡くなった日である。
あれから28年。今年は生誕80年の年でもある。
 
 いつも手元に向田作品を置いている。お守りのようなものだ。
 作品世界はもちろん好きなのだが、向田邦子の生き様が何より好きなのだ。

 少し前に、天才写真家アラーキーと陽子さんの写真について書いたけれど、ふと、向田さんの若き日の写真を見返してみたくなった。

『向田邦子の青春』には、向田さんの青春時代の写真がたくさん収められている。向田さんのマンションの片隅にひっそりと残されていたというこれらの写真。そして、秘められた恋文(“恋文”は『向田邦子の恋文』に収められている)。
ひとりで写っている写真がほとんどである。モデルのようなおしゃれな服。モデルのようなポーズ。モデルのような表情。
 ブロマイドのようで「向田さんはモデルだったのか?」と思ってしまうほど。
 
 だけど、よく見ると、はにかんでいる。
 その瞳の奥にのぞく黒い影に向かって、向田さんは話しかけている。心の中で、愛の言葉を、甘く、強く。
 その言葉を、カメラマンの恋人はファインダー越しに聞いている。はっきりと、深く、心の奥に沁み込ませて。

 本当は、ふたりで一緒に写りたかったはずである。恋人同士なら、当然の思いである。
 でも、それはできなかった。秘めた恋だったから。

 最初の頃は、カメラを向けられた時にぽーんと放り出されたような、そんな不安な気持ちにならなかっただろうか。カメラはこちらを向いているといえど、距離がある。カメラで遮断されたような気がする。写真なんていいからそばにいてよ、ひとりにしないでよ、と思わなかっただろうか。その目で私を見ていればいいじゃないの。時間がなくなっちゃうよ。
 だけど後で、できあがった写真を見て彼女は気がついたのだろう。
 どんなに彼が自分を見つめていたか。どんなに自分が彼を見つめていたか。
 そして、自分の瞳の奥に、彼が写っていることに。
 なぁんだ、ふたり、うつっているじゃない。

 彼は、瞳のほかに、1枚だけ写真の中に登場する。
 旅館の椅子に座る彼女の前のテーブルには、お茶とフォークがふたつ。
 
 向田さんは、この写真を愛したはず。
そっと取り出し、そしてまた、そっとしまったのだろう。
 
 向田邦子の恋は薮の中。

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