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Slow Books ~コトバのあや~

Slow Books ~コトバのあや~

高垣亜矢がおすすめする本です。


日本人が奏でる『コトバの音符』。言葉が織りなす模様“言葉の文(あや)”日本人が使う巧みなコトバ、本の中に見え隠れする「コトバのあや」
本をじっくりと読んでいると、その中に光る作者の巧みなテクニック。高垣亜矢さんの視点で捉えた“コトバのあや”を紹介します。

2015/08/16 更新

Slow Books ~コトバのあや~


高垣亜矢がおすすめする本です。


ノンフィクション

トットひとり

著者:黒柳徹子

出版社:新潮社

トットひとり

本書は、黒柳徹子さんのエッセイ。「小説新潮」「yomyom」に発表したエッセイや、『トットのマイ・フレンズ』『小さいときから考えてきたこと』からも一部収録されており、黒柳さんのエッセイ集大成のような贅沢な一冊です。
 森繁久彌さん、渥美清さん、沢村貞子さんたちとの友情や、伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」、結婚未遂事件などが書かれ、それはまるで宝石箱のようにきらきらとまぶしく、また、黒柳さんのおしゃべりを聞いているような気持ちになります。

 豪華な交友録のなかに、作家・向田邦子さんにまつわるお話があります。

 向田さんは、1981年8月22日、旅行先の台湾で飛行機事故に遭い亡くなりました。
 当時、たくさんの人々に衝撃が走りました。
 黒柳さんと向田さんは、若い時期に、毎日会っていたのですから、黒柳さんの悲しみの深さははかりしれません。

 黒柳さんは、向田さんの住む“霞町マンションBの二”に入り浸り、黒柳さんが寝転んで台本を覚えるそばで、向田さんは脚本を書き、たわいもないおしゃべりをし、御飯時になると向田さんがちゃちゃちゃっと食事を作り・・・ そんな日々をすごしていたのだそう。

 向田さんの妹・和子さんとの対談で、毎日会っていた時期は、向田さんが30代半ばで、恋人を亡くし、仕事もまだ中途半端で、人生に迷っていた頃だったと判明。いわば空白の時期。向田さんにしてみれば、4つ年下の黒柳さんは妹のような存在で、かつ、気の置けない友人だったのでしょう。
 そんな関係でも互いに深いところまでさぐりあうようなことはしなかったようで、黒柳さんは「向田さんって翳があるわ」と思い、「何か達観したようなところがあるように」見えていたそう。
 (その後、『向田邦子の恋文』(新潮文庫)を読んで腑に落ちたそうです。)
 
 向田さんの達観さは、こんなエピソードからもうかがえます。
 「禍福は、あざなえる縄の如し」
 その言葉を黒柳さんは向田さんと出会ってすぐの頃に教えてもらい、向田さんに意味をたずねると、
「人生は、いいことがあると、必ず、そのすぐ後に、よくないことがあって、つまり、幸福の縄と不幸の縄と二本で、撚ってあるようなものだ、という事なんじゃない?」と。
 それを聞いた黒柳さんは「幸せの縄二本で編んである人生はないの?」と訊くと、「ないの」と即答されてしまったという。 
 その後、黒柳さんは、向田さんが亡くなる前年に受賞した直木賞のお祝いパーティーで、その言葉を思い出すことになります。幾多の困難を乗り越え、たくさんの人たちのあと押しで、ようやく書くこと、生きることに「大丈夫!」と報告できるように思えたという向田さんのスピーチを、ステージ横の司会席で聞きながら。

 黒柳さんは、ずっとこの言葉を胸にここまでこられているのだろうと思います。
「私たちは、これから何年も何年も、向田さんのことを、なつかしく悲しく、思い出しながら、生きていくのだろうか。」

 黒柳さんにとって、これらのエピソードを書くことはたいへんなことだったと思います。でも、その風景を情景として伝えられるのは、黒柳さんしかいません。言い方を変えれば、向田さんたちは黒柳さん自身に魅了されたこそ、自分の風景に黒柳さんを招き入れたのでしょう。
 そっとその風景を眺めさせていただきました。ドラマのような、風景を。

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